色々する

ほんとにいろいろ

誰も知らないことを知りたい

みんなが既に知っていること、というものがどうしても好きになれない。

 

「みんな」の範囲は色々である。動画サイトで1000万回再生されていれば、同じ人が何回も見ている可能性を考慮しても数十万~数百万人がその動画について知っている計算になる。ニュースサイトで上位に来ている記事も同様だ。大人数が閲覧して、よく知られた事実になってしまったもの。それに対して拒否反応を示してしまうのである。だから再生数の少ない動画や、コメントの少ない記事を探し出そうとする。

 

要するに「俺だけが知っているんだ!」という特別感を味わいたいのである。みんな知っていることなんぞを知って何の意味があるというのか。その中には他人に新たな知識を披露してイキり倒したい、マウントをとりたいという下劣なオタク感情が含まれているのであろう。ああ浅ましや。

 

生まれてこの方20年以上この感情に悩まされ続けていたが、見方を変えればあっさり解決する話なのかもしれない。「みんなが知っている事実」なら、「自分はその人たちよりもより深く知っている」と自信を持って言えるほど知識を集めればいいのではないか。なかなかポジティブな解決策なのではないか?

 

だがそれでも葛藤は尽きない。知識を得たところで結局やることは優越感をえたいが故のマウント取りだからだ。そんなしょーもない動機のために知識を得たくない。もっと健全な気持ちで知識を増やしたいのだ……というまっとうな志がひしひしと湧き出てくるのである。さらにさらに、今自分しか知らないと思い込んでいる知識も、本当はみんなが(それこそ数十万から数百万人レベルの人が)知っている知識かもしれないのだ。残念ながらそれを確かめるのは困難を極める。(地球上の全人類に『これ知ってますかアンケート』をするわけにもいかないし)めんどくさいことを考えずに、まっさらな気持ちで知識収集ができる日は果たして来るんだろうか……